藤木大地が2017年、アリベルト・ライマン作曲の『メデア』でウィーン国立歌劇場国立歌劇場にデビューしたというニュースは、近年の日本のオペラ界でも第一級のスペシャルなものだった。何しろ、日本人(かつ東洋人)カウンターテナーとしては史上初の快挙である。しかもただ「出た」だけではない。そのパフォーマンスは現地のメディアから絶賛され、日本国内でもクラシックの世界だけのことではない「社会的ニュース」としてテレビなどメディアを駆け巡った。しかし、「藤木大地」の名前がメディアに取りざたされるのはこれが初めてではない。今を遡ること6年前、2012年の日本音楽コンクールでの「史上初カウンターテナーの優勝」は、クラシック界の人々が文字通り「騒然」となったことをよく覚えている。
つまり、藤木大地は、常にある種の「新しさ」と共にある。
カウンターテナーとして生きるということ
藤木が、元々の声種だったテノールからカウンターテナーに転向したのは2011年ごろ、ウィーンに留学していた時のこと。テノールとして東京藝術大学で学び、卒業後は新国立劇場オペラ研修所に所属、文化庁の新進芸術家海外研修制度を利用してイタリアへ留学と、「テノール歌手」への道を着々と歩んでいた途中での転向、と、側からはみえる。
「高校時代に名テノールと呼ばれる歌手に憧れて、イタリアに留学したらこういう声が出るんだろう、と思ってたんですが、実際にはそうじゃなかった。その後カウンターテナーの歌手をたくさん聞いて、“ここならば世界と勝負できるかも”と思ったのが、転向しようと思ったきっかけです。もちろん不安はありましたが、今、自分が持っている声を鍛えれば勝負できるという自信はありました。」
イタリア留学時代に考えていた将来像は、海外の歌劇場、特にドイツの劇場で専属のテノール歌手になること。しかし、カウンターテナーには専属歌手の仕事はない。つまり“フリーランス”だ。「仕事としてやっていく」ならばどんなマーケットがあるか、藤木は徹底的にリサーチする。古楽のマーケットにはカウンターテナーの需要がある。オペラも年に1本ぐらいはどこかの劇場で上演されている。あとは合唱などを歌っていけば「仕事」にはなりそうだ。国際的なマーケットでやっていける。
「でも、まさか2017年に自分がウィーン国立歌劇場の舞台で歌っているなんて、この時は想像もしてなかったですけどね(笑)」
「仕事としてやっていく」「一つの道がだめだった場合に切り替えて次の道を探す」という藤木のスタンスは、日本の伝統的な「クラシック演奏家」とは違う「新しさ」を感じる。クラシックは「崇高なる芸術」であり、それを行うものはお金のようなものに煩わされてはいけない、とでもいうように、かつては「霞でも食ってるのか」というような人がクラシックの世界にはゴロゴロいた。いや、今も、アルバイトすらしたことのない音大生は珍しくはない。そんな中で藤木のスタンスは、一見とてもクールな態度にみえるのだが、そのベースには、常に「どうやって生きていくか」という至極まっとうな問いがある。
「実は大学4年のとき、歌を辞めようと思って悩んで、1ヶ月ぐらい漫画喫茶にこもったことがあるんです。その頃、高校の同級生がみんな就職が決まっていくのを見て焦って、辞めるなら今だと思って、無理やり音楽と関係ないことを考えてた。でもやっぱり歌が好きだから、その時はっきりと“歌で生きていく”と決めました。」
その後も何回かの挫折に見舞われた藤木だが、その都度彼は常に「どうやって生きていくか」を考え、自分にできることを選びとってきた。そうやって「生きて」きた先に、今の藤木大地は立っている。
世界で生きるということ
現在、藤木は文字通り「世界と日本を」行ったり来たりして仕事をしている。例えば、今年の1月3日には東京でNHKのニューイヤー・オペラコンサートに出演し、その足でウィーンへ向けて出発。4日の夕方にウィーンに着いて、5日の午前10時にはオペラ『アリオダンテ』のリハーサルに参加していた。そんな藤木に、日本人であることで不利な扱いを受けたことはないか、と聞いてみた。
「以前、悪役のキャラクターのオーディションを受けた時に、“君は悪役に見えないから”という理由で断られたことがありますが、これは自分という商品価値がニーズに合わなかったからであって、日本人だったからだとは思っていません。日本人だから、アジア人だからということを成功できなかったエクスキューズにするのはフェアじゃない。そのために絶対に必要なのが“言葉”なんです。」
新国立劇場オペラ研修所で学んでいた時代、来日した海外のアーティストと仕事をする中で、メジャーリーガーとして仕事をしたければ、実力以前に言葉というツールは必須だな、と実感した藤木。それ以前にイタリアに語学留学を経験していたこともあり、イタリア語と英語は「まあまあできた」。次はドイツ語、ということで、その後のイタリア留学中には、現地でドイツ語学校に通っていたのだという。成功するために、つまり「生きるために」必要なことは何かを考え、それを身につけるためにすぐ行動に移す。クールな判断力と素早い実行力は、藤木大地の武器のひとつだ。
「例えば、ヨーロッパで事務所やオーディションの申し込みをしたとして、大抵は返事は来ない。つまり返事がこないのが“ノー”ということなんですね。そこで、返事がこないのは失礼だ、と怒ったり、漠然と待っていても全く自分のためにならない。すぐに次を考えないと時間がもったいないんです。もし僕が切り替えが早いようにみえるのだとしたら、それはこうした経験を積み重ねてきたからだと思います。」
待っていても何もやって来ない、それならば自分から行くしかない。そうわかってはいても、実際に行動に移すのはとても勇気のいることだ。ましてや、それが言葉も文化も違う外国ならばなおさらのことだろう。
「自分を売り込んだりするのは、すごくやりにくいことですよね。恥じらいもあるし、相手がどう思うかも気になります。でも、自分がちゃんとしていれば、失うものは何もないんです。だから、ダメかもしれないけれど申し込んでみよう、そして呼んでもらえたらすぐにそこに行こう、というのが僕のモットーなんです。」
これからの藤木大地
すでに2年後までは仕事のスケジュールが決まっているという藤木。「たった2年とはいえ、ようやく生活を気にせず音楽をできる状態になってきたというのは、すごく尊くてありがたいこと」と語る彼だが、歌い手としての転換点となったのは、やはり2017年のウィーン国立歌劇場デビューだという。
「ウィーン国立歌劇場の舞台に立つことは大きな目標のひとつだったので、それがかなってすごく嬉しかったです。また、そうした体験をしながら、演奏する理由が少しずつ変わってきたのも感じています。それまでは自分のため、つまり、自分がこうしたい、こうなりたいということを考えて歌ってきたのですが、これからは人のために歌いたいと思うようになりました。」
世界中の様々な劇場には、舞台を支える素晴らしいスタッフがいて、オペラを楽しみにしている素晴らしい観客がいる。舞台の上に立つ者は、そうした音楽に関わるすべての人のために歌うのだ、と感じたのだ。
「そのためにも、自分の音楽を磨いていかなければならない。自分の時間を費やして、実績と信頼を積み重ねていく。そうしてはじめて、音楽を聴いてくれる人を増やすことができるのだと思います。」
「いつか声が出なくなる時がきたら、今度は、後からやってくる誰かがいい演奏をするために支えたいし、そういう場を作りたくなるのかもしれませんね」と藤木大地は笑ったが、この稀有な音楽家の未来を、同じ時代に生きる者としてはずっと見続けていたいと思う。
藤木大地(ふじき だいち) Daichi Fujiki
2017年4月、オペラの殿堂・ウィーン国立歌劇場に鮮烈にデビュー。
アリベルト・ライマンがウィーン国立歌劇場のために作曲し、2010年に世界初演された『メデア』ヘロルド役(M.ボーダー指揮/M.A.マレッリ演出)での殿堂デビューは、日本人、そして東洋人のカウンターテナーとしても史上初の快挙で、~「大きな発見はカウンターテナーの藤木大地だった。あの猛烈なコロラトゥーラを彼のような最上の形で表現できる歌手は多くはない」(Der Neue Merker)、「藤木大地はそのカウンターテナーで、説得力のある印象を残した」(Oper in Wien)、「藤木大地は芯のあるクリーミーな声のクオリティと、眩いばかりの音のスピンの力で、モダンオペラの化身となった。」(Parterre)、「藤木大地は難解なヘロルド役をわがものとしていた」(Salzburger Nachrichten)~など、現地メディアから絶賛されるとともに、音楽の都・ウィーンの聴衆からも熱狂的に迎えられただけでなく、日本国内でも、おはよう日本(NHK)や国際報道2017(NHK BS1)でとりあげられるなど、大きなニュースとなる。
2011年、ローマ国際宗教音楽コンクール ファイナリスト。2012 年、第31回国際ハンス・ガボア・ベルヴェデーレ声楽コンクールにてオーストリア代表として2年連続で選出され、世界大会でファイナリストとなり、ハンス・ガボア賞を受賞。同年、日本音楽コンクール第1位。権威ある同コンクールの81年の歴史において、初めてカウンターテナーが優勝したことは、センセーショナルな話題となった。
2013年5月、ボローニャ歌劇場の開場250周年記念として上演されたグルック『クレーリアの勝利』マンニオ役(G.S.デ・リシオ指揮/N.ロウェリー演出)に抜擢されてヨーロッパデビュー。続いて6月にも同劇場でバッティステッリ『イタリア式離婚狂想曲』カルメロ役(D.カフカ指揮/D.パウントニー演出)で出演。本場イタリアの名門歌劇場での計12公演の演唱にて、国際的に高い評価を得る。
国内では、これまでに小林研一郎、黒岩英臣、井上道義、小泉和裕、松尾葉子、鈴木雅明、高関健、大植英次、佐渡裕、藤岡幸夫、沼尻竜典、阪哲朗、下野竜也、園田隆一郎、三ツ橋敬子、田中祐子、鈴木優人ら各氏の指揮のもと、読売日本響、東京フィル、東京響、日本フィル、新日本フィル、神奈川フィル、名古屋フィル、セントラル愛知響、大阪フィル、日本センチュリー響、関西フィル、京都市響、兵庫芸術文化センター管、九州響、仙台フィル、群馬響、オーケストラ・アンサンブル金沢、京都フィル、バッハ・コレギウム・ジャパンらの主要オーケストラのほとんどと、オペラ『夏の夜の夢』『リア』『ポッペアの戴冠』や、「第九」「カルミナ・ブラーナ」「マタイ受難曲」「メサイア」「レクイエム(フォーレ)」などのオーケストラ作品で共演。また、西村朗、加藤昌則ら各氏より楽曲提供を受け、世界初演を果たしている。
リサイタルでは、世界的な声楽家たちがこぞって指名する巨匠マーティン・カッツ氏(ピアノ)をはじめ、ギタリスト荘村清志、福田進一、鈴木大介、大萩康司ら各氏との共演がいずれも絶賛を博している。
2018年は1月に行われたNHKニューイヤーオペラコンサートに5年連続出演したのをはじめ、東京都交響楽団(大野和士氏指揮)との「カルミナ・ブラーナ」ソリスト、題名のない音楽会(テレビ朝日)、読響シンフォニックライブ(日本テレビ)、クラシック倶楽部(NHK BSプレミアム)、ベストオブクラシック(NHK FM)への出演や、ピアニスト松本和将、萩原麻未ら各氏との共演による各地でのソロリサイタルも常に絶賛され、全国からのオファーが絶えない。
また、10月19日に公開される村上春樹氏原作の映画「ハナレイ・ベイ」の主題歌、10月24日には待望のメジャー・デビュー・アルバム「愛のよろこびは」(ワーナーミュージック・ジャパン)のリリースが決定。
2019年3月にはアメリカの名匠レナード・スラットキン氏の指揮による大阪フィル定期演奏会への出演が予定されるなど、活躍はますますの充実をみせている。
バロックからコンテンポラリーまで幅広いレパートリーで活動を展開する、日本で最も注目される国際的なアーティストのひとりである。
第25回青山音楽賞青山賞受賞。ウィーン国立音楽大学大学院(文化経営学)修了。
藤木大地 | DAICHI FUJIKI OFFICIAL WEBSITE
【藤木大地さん 出演情報】
◇DUOリサイタル with 福田進一
日時:2018年11月23日(金・祝)
日時:2018年11月24日(土)
日時:12月1日(土)
会場:高槻現代劇場
◇メジャーデビュー記念 藤木大地カウンターテナー・リサイタル “愛のよろこびは”
日時:12月18日
会場:紀尾井ホール
◇藤木大地&鈴木大介 デュオ・リサイタル
日時:2019年1月12日(土)
日時:2019年1月27日(日)
会場:米子市文化ホール
◇古楽最前線!-2018 躍動するバロックVol.5オペラ《ポッペアの戴冠》
日時:2019年1月19日(土)
会場:いずみホール(大阪)
◇藤木大地カウンターテナー・リサイタル「日本のうたと、その時代 in OSAKA」
日時:2019年2月8日(金)
会場:ザ・フェニックスホール(大阪)
日時:2019年3月22日(金)、23日(土)
会場:フェスティバルホール(大阪)
日時:2019年4月13日(土)
共演:マーティン・カッツ
会場:東京文化会館小ホール
日時:2019年4月17日(水)
共演:マーティン・カッツ
会場:札幌コンサートホール Kitara(小ホール)