音楽家の素顔(ポートレイト)

音楽ライター室田尚子と写真家伊藤竜太が、毎回1組の日本人クラシック・アーティストにインタビュー。写真と文章で、その素顔に迫ります。

第8回 その熱で無垢なる者たちをオペラの虜にする 菅尾友(演出家)

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 モーツァルトの『コジ・ファン・トゥッテ』は、観るたびにお尻の辺りがムズムズするオペラだ。2組の恋人がいて、男たちが女の貞操を試すために変装して互いの恋人を口説き落とす。最後に騙されていたことを知った女たちが「誠実さと愛とで償います」と謝り、元の鞘に収まってめでたしめでたし…って、そんなのめでたく収まるわけないやろ!と私は毎回突っ込みたくなる。この、見ようによっては徹底的に女をバカにした作品(タイトルは「女はみんなこうしたもの」という意味だ)を、現代日本の観客、特に若い人たちにどうみせるのか。演出家・菅尾友が現在挑戦しているのは、そういう仕事である。

  

AIという古くて新しいテーマ

  

 「今回の舞台は、日本(らしき場所)にある大学のAI(人工知能)研究所。年配者アルフォンソはその研究所のドンで、フェルランドとグリエルモは若き研究員です。彼らはそれぞれ2人の女の子にフラれて、彼女たちにそっくりなAIを作り上げます。それがフィオルディリージとドラベッラになります。」

 稽古場を見学させてもらったが、フェルランドとグリエルモは常にパソコンやiPadなどのデジタル・デバイスに囲まれているオタク男性、といった趣で、一方でドン・アルフォンソが筋トレに勤しむマッチョ男性であることと見事な対比をみせている。

 

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稽古場にて。左から菅尾友、市川浩平(フェルランド)、与那城敬(ドン・アルフォンソ)、加耒徹(グリエルモ)

 

 

 

 

 「AIという非常に現代的なトピックを扱っていますが、実は“人形に自分の理想を託す”というのは、『ピグマリオン』や『ホフマン物語』のオランピア、『マイ・フェア・レディ』など昔からずっとあるテーマ。一方で、AIを扱う際に忘れてはならないのが、日本におけるキャラクター・コンテンツの問題です。今、日本のドラマや映画の人気作の多くは主人公がティーンエイジャーだし、アニメや漫画の女性キャラクターは“幼い顔つきなのに胸が大きい”という造形が席巻している。あるいはJKビジネスの隆盛などもあり、可愛らしくて子供っぽいキャラクターとの疑似恋愛の話題が多く見られ、その物語も広く受け入れられています。」

 子供の顔と大人の体を持ったキャラクターとしての「女」に、大人の「男」が夢中になっている現代ニッポンでは、「男が女を試す」物語も「AIに恋した男がAIの女を試す」物語へと変貌するというわけだ。

 

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「自分たちの物語」を作る

 

 菅尾さんはこれまでも、2012年の日生劇場フィガロの結婚』や2015年の同『ドン・ジョヴァンニ』、二期会『ジューリオ・チェーザレ』といった注目すべき舞台を作り上げているが、その演出では常にある種の「読み替え」が行われているのが特徴だ。時には大胆に設定を変えるような舞台もある。例えば今年のザルツブルク音楽祭で上演された、子供のための『魔笛』は、パミーナが誕生日の前夜に見る夢、という設定でドラマが展開していた。こうした「読み替え」演出は、時に保守的な人から批判を浴びることもあるが、それは「作品のコアに行きつくための手段」なのだと菅尾さんは言う。

 「僕自身は“読み替え”という言葉はあまり理解できなくて、自分の作業は“読み込み”だと思っています。ましてや作品を裏切るつもりはまったくありません。音楽とテクストからこれが作品のコアだ、ということを見極め、そこに近づくための手段として演出がある。僕は常に、その作品に内包されたテーマのどこをフィーチャーしたら面白いか、ということを考えています。作品を、博物館の展示のように過去の遺物としてそのまま見せるだけでは足りないと思うんです。例えば『トゥーランドット』なんか、男に強引にキスされてお姫様が愛に目覚めるなんて、現代の感覚ではとても納得できない。でもそれを“昔の物語だから”で終わらせるのではなく、自分と観客の生きる現代の物語としてならどのように成立するのか、ということを考えてみたいんです。」

 今回の『コジ』にしても、世界的に“Me too”ムーヴメントが盛り上がり、女性たちが差別的な扱われ方に対してノーを突きつけている今の時代に、「男が女を試す」という物語をそのままやることはできない、という問題点から菅尾さんは出発している。作品の内面にあるもの(=コア)を「今」というフィルターを通してみた時に何が現れてくるのか。菅尾演出が、一見突飛に見える設定を用いていようとも観るものを納得させるのは、そこに「今」という時代に生きる「自分たちの物語」が描かれているからに他ならない。

 

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「オペラ面白いですよ」と言い続ける演出家

 

 父親の仕事の関係でデュッセルドルフに暮らしていた4歳の頃、菅尾さんはオペラに出会った。子供の頃からオペラを観てきた菅尾さんにとって、オペラは「別世界のもの」ではなく、「もっとも親しいエンタテインメント」だった。

 「僕がいつも念頭に置いているのは、オペラのことを知らずに初めて観に来たお客さんなんです。そういう人が観て面白かった、と思ってくれるようなものをつくるのが僕の仕事です。そういう意味では、今回の『コジ』を《ニッセイ名作シリーズ》として中高生のみなさんが観にきてくれるというのが楽しみで仕方ありません。」

 《ニッセイ名作シリーズ》は長年日生劇場が取り組んできた中高生のための鑑賞シリーズで、日生劇場と全国の劇場で無料でオペラやバレエの招待公演を開催している。今回の『コジ・ファン・トゥッテ』も一般公演の他に中高生向けの公演が行われる予定だ。

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「今回の舞台を観た中高生の中で、例えば次にオペラのチケットを貰える機会があった時に“もう一回行ってみてもいいな”と思う人が増えるということがすごく重要だと思ってます。だから、文句なく面白いものを作りたいし、そこには言い訳や甘えは通用しない。“オペラってこういうもの”という慣例やタブー的なものも、何が本質なのかを改めて自分たちで問い直す作業が必要だと思います。そのプロセスを楽しみつつ、多くのお客様に楽しんでいただける舞台を作っていきたい。」

 インタビューの間中、菅尾さんの瞳からは何か特別なビームが放たれているような、そんな気がしてならなかった。それは、オペラが大好きで、その大好きなオペラの面白さを、ひとりでも多くの人に伝えたいという彼の「熱」だったのだ。その「熱」は触れてもヤケドはしないけれど、あっという間にこちらの心を沸騰させる力を持っている。菅尾友の「熱」は次に日生劇場の舞台で多くの若者と、若者の心を持った大人たちを直撃するだろう。

 

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菅尾 友(すがお とも)

札幌生まれ。幼少期をアメリカ、オランダ、ドイツ等で過ごし、4歳からバイオリンを始める。アメリカ・ミシガン州の選抜オーケストラでコンサートマスターを務めた他、故・山本直純氏らが指導したジュニア・フィルハーモニック・オーケストラや、アジア・ユース・オーケストラのヨーロッパ・ツアーに参加。

18歳で演出活動を開始。ニナガワ・カンパニー・ダッシュ、東京・新国立劇場、ベルリン・コーミッシェ・オーパー演出スタッフを経て、現在はフリーの演出家としてヴュルツブルクドルトムント、ケルン、ベルリン、チューリヒルツェルンザルツブルクオスロプラハルクセンブルク台北、香港、大阪、びわ湖、東京等の劇場や音楽祭で活動中。最近では子どものための『魔笛』(ザルツブルク音楽祭)、『ユグノー教徒』『ニクソン・イン・チャイナ』(ヴュルツブルク歌劇場)、『鬼恋』(香港・世界初演)、『黒船』(ノイケルナー・オーパー・ベルリン)、『フィガロの結婚』『ドン・ジョヴァンニ』(東京・日生劇場)、『ジューリオ・チェーザレ』(東京二期会)、『魔弾の射手』(関西二期会)、『ドン・キホーテ』(びわ湖ホール)、『ノルマ』(プラハ国立歌劇場)、『子どもと魔法』(ケルン歌劇場)等の舞台を演出。

国際基督教大学卒業。08年文化庁新進芸術家海外研修制度派遣、09年ヴァーグナー国際財団奨学生、13年五島記念文化賞新人賞受賞。

 

【菅尾友さん 演出作品情報】

 

 ◇NISSAY OPERA 2018『コジ・ファン・トゥッテ』

日時:2018年11月10日(土)・11日(日)13時30分開演

会場:日生劇場

 

◇関西二期会 第89回オペラ公演『サルタン王の物語』

日時:2018年12月1日(土)16時開演・2日(日)14時開演

会場:兵庫県立芸術文化センター中ホール

 

◇ドルトムント歌劇場『トゥーランドット』

プレミエ:2019年2月9日(土)

 

◇ルクセンブルク・フィルハーモニー 音楽劇『桃太郎』

プレミエ:2019年3月8日(金)

 

◇ヴュルツブルク歌劇場『神々の黄昏』

プレミエ:2019年5月26日(日)