音楽家の素顔(ポートレイト)

音楽ライター室田尚子と写真家伊藤竜太が、毎回1組の日本人クラシック・アーティストにインタビュー。写真と文章で、その素顔に迫ります。

第4回 たぐいまれな光で周囲を照らし続ける星(スター) 宮本益光(バリトン)

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 以前、東京二期会オペラ劇場『こうもり』で共演した青木エマさんが、宮本益光さんのことを「いつも面白いことを探していて、その面白いことにみんなを巻き込んでいく」と語っていた。まさに、宮本益光という「人」を的確に表した言葉だと思う。もちろん、宮本さんは「歌手」である。と同時に、彼の活動範囲はただ「歌うこと」にとどまらない。オペラの訳詞上演、コンサートの企画・構成・演出、作詞、詩や文章の執筆…。まさに「これをやろう」と決めたことを次々に実現させていく力を持っている。そんな宮本益光さんが今回、モーツァルトのオペラを上演する団体「MOZART SINGERS JAPAN」(以下、MSJ)を立ち上げた。宮本益光の新しい「面白いこと」が始まった。

 

精神的な歌劇場をつくる

 「きっかけは“焦り”です(笑) 僕は今年46歳になるんですが、去年ぐらいに“あと15年したら還暦じゃないか!”と考えたら急に怖くなってしまって…。10年前に二期会に『ドン・ジョヴァンニ』でデビューして、さてじゃあ10年後にはどれだけ歌っていられるんだろう、と考えた時に、自分に今できることをやらなければ、という思いに駆られました。僕らは『職業はオペラ歌手』と言っていますが、本場ヨーロッパのオペラ歌手たちに比べたら圧倒的に歌える場が少ない。“じゃあ、作っちゃえ!”と思ったんですね。歌劇場はないけれど、精神的な歌劇場を作ろう、と。」

 宮本さんのそんな「思い」を共有する仲間がいた。それがMSJに結集した3人の歌手と3人のピアニストたちだ。

 「たまたま、この7人は二期会オペラ研修所で先生をやっていて、僕が今言ったようなことを話したら、みんな同じ思いでいた。僕と鵜木絵里さん、針生美智子さん、望月哲也さんの4人の歌手は、全員モーツァルトをレパートリーの中心においている。そこで、モーツァルト作品を上演する団体としてMSJをつくることになりました。」

 MSJは、今後1年に1作ずつ、モーツァルトの「ダ・ポンテ三部作」と『魔笛』を、ピアノ伴奏でレコーディングすることが発表されている。実は、オペラ全曲を日本人キャストだけで演奏している録音はほとんどない。また、ピアノ伴奏、というところにも宮本さんのこだわりがうかがえる。

 「オペラでは、まずはコレペティトゥーアと呼ばれるピアニストがついて練習が行われます。このコレペティトゥーアはとても専門的な仕事で、誰にでもできるわけではありません。オペラの内容に精通していて、またその場面に応じて編曲する能力も求められる。お客様にはほとんど知られていないコレペティトゥーアという存在を広く知ってもらいたい、という意図もあるんです。」

 実際にピアノ伴奏の演奏会に足を運んだことのある方ならわかると思うが、ピアノ伴奏は音楽の線を浮き彫りにする。アンサンブルが聴かせどころのモーツァルトなら、その良さはむしろオーケストラ伴奏よりもよく伝わってくるはずだ。MSJは「ステージとピアノさえあれば、モーツァルトの極上のアンサンブルを、演技付きでも、演奏会形式でもお届けできる機動性、柔軟性」を武器にしているのだ。

 すでに、今年10月25日にオクタヴィア・レコードから『コジ・ファン・トゥッテ』をリリースすることが決定している。合わせてネット配信も予定。またブックレットには、宮本さんの訳詞もつくそうだ。

 

MOZART SINGERS JAPAN

ソプラノ 鵜木絵里、針生美智子

テノール 望月哲也

バリトン 宮本益光

ピアノ  山口佳代、石野真穂、髙田恵子

 

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モーツァルトに魅せられて

 個人的にはモーツァルトのオペラは、すべてのオペラの中でも非常に「特別」な印象を受ける(まあ、オペラ以外の作品でもそうなのだけれど)。例えば、声楽を学ぼうとする時、最初に教わるオペラ・アリアはモーツァルトだし、若手がデビューする作品がモーツァルトである確率はとても高い。宮本さんは、モーツァルトが、「アンサンブルをを中心において物語を展開した最初の作曲家」であるという点に注目し、それが、モーツァルトがオペラ歌手のレパートリーの基礎に置かれる理由であると語る。MSJが「アンサンブルの素晴らしさ」を追求する所以でもある。

 「モーツァルト・オペラの真髄は、完成された様式美にあると考えます。モーツァルトにおいてオペラは、レチタティーヴォという様式を完成した。その後登場するドニゼッティロッシーニベッリーニの作品は、モーツァルトがつくりあげた様式美の発展型ととらえることができます。それほど完成されていながら、いえ、完成されているからこそ、逆にどうとでも料理できるのがモーツァルトの面白さです。完成された様式美があるからこそ、無限に広がることができる。ペーター・コンヴィチュニーやカロリーネ・グルーバーのような演出もできるわけです。」

 教員になろうと考えて藝大に進み、その勉強の過程で常にモーツァルトが身近にあった宮本さん。オペラ・デビューは1997年、広島市民オペラで上演された『ドン・ジョヴァンニ』。まだ大学院生の時だがマゼットを演じ、次はドン・ジョヴァンニをやりたいなあ、と思った(なんと数年後にその思いは実現するのだが)。「自分の人生の大事なときに、いつもモーツァルトがあった」という宮本さんにとって、モーツァルト・オペラは永遠のライフワークだ。

 「自分を歌手として育んだのがモーツァルトだから、ずっとそばに置いておきたいと思います。」

 

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人を輝かせる才能

 冒頭に紹介した「いつも面白いことを探していて、その面白いことにみんなを巻き込んでいく」という宮本益光さんの特徴は、プロデューサー気質ともいえるだろう。実際、「ベートーヴェンと行くアリスのおんがく旅行」(日生劇場ファミリーフェスティバル)や黒い薔薇歌劇団など、彼が企画や構成を手がけたコンサートは枚挙にいとまがなく、またどれもが文句なく「楽しい」ものばかりだ。

 「(音楽家としての)出発点が教員になりたいという思いなので、プロデユーサー的なことは好きかもしれません。何かをつくってみんなで一緒に楽しみたい、ということが、何につけても最初にきます。」

 その「みんなで」という視線は、当然、一緒にオペラ歌手として歩いてきた仲間たちにも惜しみなく注がれている。

 「仲間の好不調をずっと見てきているから、その人たちの“今”を紹介したいという思いも強いんです。鵜木絵里のデスピーナは当代随一でヨーロッパでも通用すると思っている。だからそれを聴かせたい。同じように、針生美智子の夜の女王を、望月哲也のタミーノを…。そうしてできたのがMSJなんです。」

 

 先日私は、宮本さんが企画したホワイトデーコンサートに行ってきた。3人の後輩バリトンとともに歌うコンサートは、「とびきり甘い夜」というタイトル通り、聴いていてワクワク、ドキドキ、そして最後には涙も出てくる「とびきり素敵な」コンサートだった。人を輝かせ、そして自分も輝く舞台をつくりあげる才能。宮本益光という人の凄さはここにある。益光さん、年齢なんて関係なく、生きている限りその声で輝き、誰かを輝かせ続けて続けてください。そして、私たちに輝く音楽を届け続けてください。

 

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2017年11月の東京二期会オペラ劇場『こうもり』ファルケ役を演じる宮本さん

 

 

宮本益光(みやもと ますみつ)  Masumitsu Miyamoto

東京藝術大学卒業、同大学院博士課程修了。学術(音楽)博士号取得。2003年『欲望という名の電車』スタンリーで一躍注目を集め、翌年『ドン・ジョヴァンニ』(宮本亜門演出)タイトルロールで、衝撃的な二期会デビューを飾る。二期会コジ・ファン・トゥッテ』グリエルモ、『チャールダーシュの女王』フェリ、『こうもり』ファルケ新国立劇場鹿鳴館』清原栄之輔、『夜叉ヶ池』学円、日生劇場開場50 周年記念『メデア』イヤソン、『リア』オルバニー公、神奈川県民ホール開場40周年記念『金閣寺』溝口、あいちトリエンナーレ及び、iichikoグランシアタ神奈川県民ホール魔笛』パパゲーノ等話題の公演で活躍。古典作品から現代作品、邦人作品までそのレパートリーは幅広く、コンサートでも読売日響、東京都交響楽団、東京交響楽団、日本フィル等と共演を重ねている。また演奏のみならず、作詞、訳詞、執筆、企画、演出等でも多彩な才能を発揮、創造性あふれるステージで聴衆を魅了している。CD「おやすみ」「あしたのうた」「碧のイタリア歌曲」「うたうたう 信長貴富歌曲集」、著作に「宮本益光とオペラへ行こう」、詩集「もしも歌がなかったら」「樹形図」等がある。二期会会員

 

【宮本益光さん 出演情報】

 

◇仙台フィルハーモニー管弦楽団「オーケストラと遊んじゃおう!Vol.15」

日時:2018年4月8日(日)11時/14時30分開演

会場:日立システムズホール仙台 コンサートホール

  

◇神奈川県民ホール みんなで楽しむオペラ『ヘンゼルとグレーテル』

日時:2018年6月3日(日)11時/14時開演

会場:神奈川県民ホール 大ホール

 

◇水戸芸術館 「ちょっとお昼にクラシック」

日時:2018年6月17日(日)13時30分開演

会場:水戸芸術館 コンサートホールATM

 

◇神奈川フィルハーモニー管弦楽団 

 定期演奏会 県民ホールシリーズ第1回「Mozart Gala Concert」

日時:2018年7月14日(土)15時開演

会場:神奈川県民ホール 大ホール