音楽家の素顔(ポートレイト)

音楽ライター室田尚子と写真家伊藤竜太が、毎回1組の日本人クラシック・アーティストにインタビュー。写真と文章で、その素顔に迫ります。

東京芸術劇場シアターオペラvol.11『トスカ』 演出の映画監督・河瀨直美さんに聞く

 全国5都市(新潟・東京・金沢・魚津・沖縄)で上演される全国共同制作プロジェクト、プッチーニの歌劇『トスカ』。これが初めてのオペラ演出になる映画監督の河瀨直美さんに、翌日は東京芸術劇場での初日というタイミングでお話を伺うことができた。

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10月15日に新潟で幕が上がったわけですが、現在のお気持ちをお聞かせください。

 初めて自分が手がけたオペラがかたちになったのを観て、今は新鮮な感動でいっぱいです。

 実は特に注意を払ったのが字幕なんです。映画を海外で上演する時に感じているのは、字幕の大切さです。言葉が通じなければ何もわかりませんから。かといって、文字が多すぎても舞台の上の表現に集中できない。『トスカ』は200年前のイタリア語ですから比喩がとても多くて、今の私たちにとってはそのまま訳したのではわかりにくい。なので、字幕の方とディスカッションしながら、できるだけシンプルでわかりやすい表現を探しました。

 

「舞台は古代日本を想定させる“牢魔”」という演出プランはどこから着想されたのでしょうか。

 時代と場所を特定しないことで、観にいらしたお客様が舞台上の人たちと同じ地平で出会うことができる。そのことで、本来プッチーニが表現したかったものに近づくことができたのではないかと思っています。

 私は2人の男性の登場人物のうち、カヴァラドッシよりもスカルピアに感情移入できるんです。スカルピアは悪役ですが、ただの悪い人間ではない。男性ならたいていの人が心のそこに持っている欲望や上昇志向をキャラクターにしたもの。ですから、自分とは全然関係のない人、ではなく、誰しもが持っている憎悪や激しい感情を表現しているのではないでしょうか。プッチーニは、社会の中に存在している人間の本質というものを、この『トスカ』というオペラで描きたかったのだと思いました。

 

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オペラではスカルピアだけでなく、最後にはカヴァラドッシもトスカも死んでしまうという悲劇的な結末を迎えます。

 3人はそれぞれの生を私たちに見せてくれます。スカルピアは先ほど言ったように、人間の本質的な感情を。トスカは清らかな愛と信仰に生きるという魂のあり方を。そしてカヴァラドッシは命をかけて友人をかくまい、自らを犠牲にするという潔さです。そうした3人の生を私たちが見たとき、そこに「力」を感じるのです。それは悲劇のドラマの中にさしている「希望」でもあります。

 これは日本人ならではの考え方かもしれませんが、人間の命は死んで終わりではなく、輪廻転生がある。今この時代の生を全うした後でも、思いは次の世代に繋がっていく。ひとりの人生としては死は終わりですが、そこから始まる何かがあって、それを観客が受け取って今の生にいかしていくことができるという「希望」を、この物語から受け取っていただければと思います。

 

今回の登場人物について、もう少し詳しく教えていただけますか。

 トスカは「トス香」、カヴァラドッシは「カバラ導師・万里生」で、彼らは古代のシャーマンです。これに対してスカルピアは「須賀ルピオ」という新しい勢力を代表する人物。どちらが悪いということではなく、価値観の違いが表現されていきます。

 トス香の信仰は、ここでは自然信仰です。古来日本では自然には神がいて、災害は神の怒りだと考えられてきました。けれども現代では、人間が自然をコントロールしながら快適さだけを求めてきたために、地球そのものが疲弊し危機に瀕しています。そうした私自身の表現者としての問題意識も盛り込まれています。

 

監督ご自身が手がけられた映像も大きな注目の的ですが。

 映像には各幕ごとにテーマがあります。第1幕は大地、第2幕は深海、そして第3幕は再び大地に戻ってきますが、特に夜明けを表現しました。時間の移り変わりを追いながら、太陽や雲の流れをつくっていきました。

 映像が映し出されるスクリーンは、それ自体が人物が出入りする玄関になっています。そこに表れる光と影に注目していただければと思います。

 

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10月26日東京公演ゲネプロより

オペラ演出についてはどんな感想を持たれましたでしょうか。

 映画もそうですが、私は大勢の人たちがひとつになってものを作り上げていくことが大好きなんです。映画の時は作品に入り込んで、俳優たちともディスカッションを重ねていきます。今回もその手法を取り入れましたが、もし機会があれば、次のオペラ演出ではもっともっと時間をかけてひとつの作品を練り上げていきたいと思います。

 今回ご一緒したソリストの方たちは、皆さん、日本のこれからを担っていくような才能の持ち主です。日本のオペラ界を支えていく若手がどうやったらもっと世界にアピールしていけるか、ということを考えていきたいです。実は、映画の世界も同じ課題を抱えています。世界のトップの人たちと並んで表現していけるようなものを、映画でもオペラでも目指していけたらと思っています。

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河瀨直美(かわせ なおみ) Naomi Kawase

映画作家

生まれ育った奈良で映画を創り続ける

1989年 大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ専門学校)映画科卒業

1995年 自主映画『につつまれて』、『かたつもり』が、山形国際ドキュメンタリー映画祭をはじめ、国内外で注目を集める

1997年 劇場映画デビュー作『萌の朱雀』でカンヌ映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少受賞

2007年 『殯の森』で、カンヌ映画祭グランプリ(審査員特別大賞)を受賞

2009年 カンヌ映画祭に貢献した監督に贈られる「黄金きん の馬車賞」を受賞

2013年 カンヌ映画祭コンペティション部門の審査委員に就任

2015年 フランス芸術文化勲章シュヴァリエ」を叙勲

『あん』が国内外で大ヒットを記録

2016年 カンヌ映画祭シネフォンダシオン・短編部門の審査委員長に就任

2017年 『光』がカンヌ国際映画祭 エキュメニカル賞を受賞

オペラ『トスカ』を初演出

2018年 最新作『Vision』(ジュリエット・ビノシュ主演)公開

11月23日よりパリ・ポンピドゥセンターにて大々的な「河瀨直美展」が6週間にわたり開催される

映画監督の他、CM演出、エッセイ執筆などジャンルにこだわらず表現活動を続け、

故郷の奈良において「なら国際映画祭」をオーガナイズしながら次世代の育成にも力を入れている。

公式サイト www.kawasenaomi.com

公式ツイッターアカウント @KawaseNAOMI

 

 

東京芸術劇場シアターオペラvol.11 全国共同制作プロジェクト

プッチーニ/歌劇『トスカ』《新演出》 全3幕 日本語字幕付 イタリア語上演

2017年10月27日(金)18:30開演/29日(日)14:00開演

東京芸術劇場 コンサートホール

 

演出:河瀨直美

指揮:広上淳一

 

チケット料金(全席指定・税込)※当日券あり

S席10,000円 A席8,000円 B席6,000円 C席4,000円

D席3,000円(完売) E席1,500円(完売) SS席12,000円(完売)

 

チケット取り扱い

東京芸術劇場ボックスオフィス

0570-010-296(休館日を除く10:00~19:00)

 

主催:東京芸術劇場 (公益財団法人東京都歴史文化財団

 

【全国5都市公演】

新潟公演 10月15日(日)※終了

金沢公演 118日(水)19:00開演 金沢歌劇座
魚津公演 1112日(日)14:00開演 新川文化ホール
沖縄公演 127日(木)19:00開演 沖縄コンベンションセンター

第2回 現代の新しいスター像 西村 悟(テノール)

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ここ数年、日本のテノールの中では目が離せない活躍をみせる西村悟(さとし)さんが、この10月に東京オペラシティ コンサートホールで初のオーケストラ伴奏によるソロ・リサイタルを開く。35歳、歌手としては「若手」の彼が語るオペラへの思い、とは。

オーケストラとともに歌うリサイタル

「今回のリサイタルは、平成25年に五島記念文化賞オペラ部門オペラ新人賞をいただいて、1年間のイタリア研修の成果を披露するものです。なので、プログラムは全部“勝負曲”。これまでコンクールやオーディションで歌ってきた、思い出も思い入れもあるものばかりになりました。」

 プログラムにはドニゼッティ愛の妙薬』、ヴェルディマクベス』、プッチーニラ・ボエーム』など、ベルカントからヴェリズモまで、イタリア・オペラの名アリアがずらり。なるほど、これは「最初から最後までクライマックス」である。しかもバックには、山田和樹指揮日本フィルハーモニー交響楽団が控える。通常、この手のリサイタルではピアノ伴奏のことが多いが、今回、西村さんは敢えてオーケストラにこだわったという。

 「実は僕は、ずっと声量がないのがコンプレックスでした。だから、イタリア研修のテーマに、“オーケストラの響きに負けない声をつくること”を掲げました。その成果をおみせするためには、どうしてもオーケストラ伴奏にすることが必要だったんです。」

 

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 そこには、イタリアで十分に研修を積んだという自信が垣間見えるが、さらに彼を後押しした存在がいる。

山田和樹さんが『僕、振るよ』とおっしゃってくださったのが大きかったですね。山田さんとは、2014年にスイス・ロマンド管弦楽団メンデルスゾーン交響曲『讃歌』を演奏される時にお声をかけていただいたのが最初の出会いです。それから何回か僕を指名してくださって。そのうち山田さんが『指揮者にとってシンフォニーとオペラは車の両輪なので、これからはオペラもどんどん指揮していきたい』とおっしゃっているということをうかがい、それでは、と今回のリサイタルのご相談をしたんです。そうしたら『ぜひ』と言ってくださった。それで僕も踏ん切りがつきました。」

 山田和樹さんも、現在、破竹の勢いで活躍の場を広げている指揮者である。今年(2017年)2月に藤原歌劇団の『カルメン』を振って本格的なオペラ・デビューを果たしたのは記憶に新しいところ。ところで、山田さんは西村さんの3歳上、今年38歳になる。30代、クラシック音楽界では「若い世代」のふたりがこうして舞台の上で共演するというのは、何か大きな時代の変化を感じさせる出来事ではないだろうか。

同世代、ということでいえば、今年5月、西村さんが急遽代役でローゲを歌った日フィルのワーグナーラインの黄金』を指揮したピエタリ・インキネンは、西村さんと同い年だそうだ。

「僕たち若い世代が、今オペラ界を牽引されている先輩方の間に割って入っていくようにならないと、オペラという文化は発展していかないと思います。そのためにも、もっともっと力をつけなきゃならない。これからは、もっと色々な役にも挑戦していきたいです。」

 

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オペラ歌手として生きていきたい

 高校時代までバスケット選手を目指していたという西村さんは、体格にも恵まれており、舞台に上るとひときわ目をひく存在。ご本人も、「舞台に立つ」ことが楽しくて仕方ないようだ。

「体を使って表現することが大好きなんです。だから歌と演技の両方を磨いていきたい。劇場にいらしたお客様が、耳で聴いて、目で見て感じるもの。それがオペラですよね。たとえ言葉がわからなくても伝わってくるようなパフォーマンスができるようになることが僕の理想です。」

そんな西村さんが将来演じてみたい役は?


「いちばん興味がある演目は『ローエングリン』です。ただ、今の僕の声にはまだ早いですね。もうすこし時間が欲しい。」

 

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 今回のリサイタルの演目をみてもわかる通り、西村さんはずっとイタリア・オペラ、それもベルカントなど軽い声の役柄にこだわってきた。しかし2年前にその考え方を変えるような経験をしたという。

「2015年にインキネン指揮の日フィルからマーラーの『大地の歌』のオファーをいただいたんです。それまでドイツ語の曲なんて『第九』ぐらいしか歌ったことがなかったので、とても苦労しました。でも、『自分の声でやってみればいい』と吹っ切れた瞬間があったんですね。まず、自分が持っている力で歌ってみて、その結果を評するのはお客様であり、共演者だと。幸い、公演は良い評価をいただいて、そこから僕の中で歌に対する姿勢が変わったと思います。」

 

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 自分の中のこだわりを守ることも大切だが、しかし「できない」と断っていてはいつまでもゼロのままだ。そのことに気づいたとき、オペラ歌手西村悟は大きく成長したのだろう。実際、今年、びわ湖プロデュース・オペラ『ラインの黄金』で歌ったローゲ役は絶賛を浴び、それが先ほども触れたインキネン指揮の日フィル公演での代役へと繋がった。

「日本人がオペラ歌手として生きていくためには、『これだけしかやらない』ということではチャンスが広がらない。これから世界に挑戦するためには、いろいろな言語で多種多様な役をやらないと生き残っていけないと思います。」

「世界」という言葉がなんのてらいもなくスッと出てくるところにも、新しい世代の風を感じずにはいられない。新時代のスター、西村悟。この先どんな広い海へと乗り出していくのか、本当に楽しみでならない。

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西村 悟(にしむら さとし)  Satoshi Nishimura

【西村 悟さん 公演情報】

美しい時代へ 東急グループ 五島記念文化賞オペラ新人賞研修記念

西村悟テノール・リサイタル with 山田和樹指揮 日本フィルハーモニー交響楽団

 

東京二期会『ばらの騎士』記者会見

 7月26日から開幕する東京二期会『ばらの騎士』、指揮のセバスティアン・ヴァイグレ氏と演出のリチャード・ジョーンズ氏の来日記者会見が行われました。このプロダクションは、2014年のイギリス・グラインドボーン音楽祭で初演されたもので、今回はいわばその「日本バージョン」。東京文化会館で4公演行われた後は、愛知県芸術劇場iichiko総合文化センターでも上演される予定。

 7月13日、都内某所の稽古場で行われた記者会見の模様をお届けします。

 

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ばらの騎士』という作品について

  愛について、人生について、時間について、人間関係について語られている。つまり、オペラにあるべきものがすべて詰まった作品です。音楽的には、『サロメ』『エレクトラ』の後で書かれていますが、その2作がエッジの効いた先端的な作品だったのに対して、『ばら』は美しいメロディのつまった「コメディ」です。軽やかさと明晰さがこの作品の鍵なのです。

 また、ワルツがたくさん使われているところに注目してください。このオペラの時代設定である18世紀には、実はまだワルツは生まれていなかった。にもかかわらず、ウィーン風のワルツが大きな役割を果たしています。

 様々な感情を呼び覚ます、とても喜ばしい作品です。

 

今回のプロダクションについて

  『ばらの騎士』は大好きな作品で、何度も指揮してきていますが、すべて日本人の歌手によるプロダクションというのは私にとって特別なものです。しかも今回は、初めてその役を歌うという歌手もたくさんいます。今はみんなで、歌詞に込められた二重の意味を考え、最終的に到達すべき音楽性を目指して作品に立ち向かっているところです。

 

読売日本交響楽団について

  オペラ公演においては、良い歌手と良いオーケストラがいて、良いインタラクションがあるということがとても重要です。こうしてほしい、と言葉で指示することもできますが、ボディランゲージが大きい。その点、読売日本交響楽団はよく反応してくれるので、きっと素晴らしいパフォーマンスをお聴かせできると思います。

 

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  • 演出 リチャード・ジョーンズ氏
  •   2015年に大英帝国勲章を受賞しているジョーンズ氏は、イギリスを代表する演劇・ミュージカル、そしてオペラの演出家。今回が初来日。

 

演出コンセプトについて

  私の基本的な演出のコンセプトは、「物語を語る」ことです。

 この作品は、第1幕、2幕、3幕でまったく別の世界が展開されます。第1幕は古き良きウィーンを象徴する伝統的な社会、第2幕はニュー・マネーが支配する新興貴族の裕福な社会、そして第3幕は少し不思議な、社会の辺境にある社会です。そのために、それぞれの幕ではまったく違った舞台装置を考えました。

 

ばらの騎士』という作品をどうとらえているか

  様々な文化的な要素が盛り込まれた、とても複雑で洗練されているのが『ばらの騎士』という作品です。最高級のオペラ、といってもいいでしょう。さらに素晴らしいのは、そのように複雑でありながら、初めてオペラを観に来た人も楽しめるというところです。音楽が美しくてテンポが早く進んでいく、そして最後に内省的なドキッとする瞬間が現れる。

 このオペラは最高級のコメディです。そこにはヨーロッパの他の様々な作家、例えばモリエールからの影響をみてとることができます。登場人物がバラエティに富んでいて、彼らはそれぞれいけない行動をしますが、それは決してバレてはいけないという状況が展開していきます。

 

初めて観る方へのアドバイス

 まずは何よりも音楽を楽しんでください。

 そして物語。登場人物が追いつめられて、なんとかその状況から抜けだそうとしているという状況がたくさん出てくるので、そうしたコミカルな場面をどうぞリラックスして楽しんでほしいと思います。

 面白おかしいのに、最後には胸を打たれる。まさに演劇的な作品です。音楽と、そしてそうしたドラマを楽しんでいただければ嬉しいです。

 

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 私自身は、このオペラを「喜劇でありながら悲劇」という風にとらえていました。特に、ある時期から元帥夫人に自分を重ねて(彼女ほど美しくも高貴でもありませんが笑)、「女性が年を重ねていくということ」の悲しさが胸にキリキリと突き刺さってきて、特に第3幕ラストの元帥夫人・オクタヴィアン・ゾフィーの三重唱では涙を抑えることができません。この点についてジョーンズ氏に質問したところ、次のような答えが返ってきました。

 

 「非常に心を動かされるところはありますが、私自身は、このオペラはセンチメンタルな作品ではないと思っています。元帥夫人は30代前半、つまり年老いた女性、ではなく、これから年老いていくことを予感している女性です。そんな彼女はオクタヴィアンと別れたからといって、自分の愛の生活を捨てるつもりはない。つまり彼女は、今後も男性を愛し続けいくのです。」

 

 『ばらの騎士』を観終わったあと、何をどう感じるかはもちろん観客に任されているのですが、「ああ、面白かった」と思いながらも胸に無視できない痛みが残るような、そんな体験が今までは多かったように思います。でも、もしかしたらこの『ばら』は違うかもしれない、もっと新しい、もっとワクワクするような何かがみられるのでは…。ジョーンズ氏の答えに、公演を観るのがいっそう楽しみになりました。

 

 

東京二期会愛知県芸術劇場東京文化会館iichiko総合文化センター読売日本交響楽団名古屋フィルハーモニー交響楽団 共同制作
グラインドボーン音楽祭との提携公演》

リヒャルト・シュトラウス作曲『ばらの騎士

第1回 誰よりも真摯な「音楽の奉仕者」 幸田浩子さん(ソプラノ)

f:id:classicportrait:20170605171043j:plain「日本を代表するソプラノ」のひとり、幸田浩子さん。その名前は、クラシック・ファンはもちろんのこと、広くお茶の間でも知られている。それは幸田さんが、NHK-FM「気ままにクラシック」やBSフジ「レシピ・アン」などテレビやラジオに出演する機会が多いことも関係しているだろう。また、クラシックの歌手としては、CDのリリースも多く、彼女の人気の高さがうかがえる。

お客様に幸せな気持ちで帰っていただきたい

 幸田さんの歌声を聴いていると、優しく包み込まれるような気持ちになる、という人は多い。それは何より幸田さん自身が、「どうしたらお客様に喜んでもらえるか」ということを第一に考える歌手であるからだ。

「私はとても単純な舞台人なので、音楽が自分の体の中を通ってお客様に届いていく、それだけでもう幸せを感じます。だからお客様にも幸せになっていただきたい。オペラを観た方が今よりもっと心が柔らかくなるような、そんな気持ちになれる時間を作り出したいという思いが常にあります。」

 幸田さんが時々に口にするのは、「お客様が」という言葉だ。この舞台を観てお客様が何を感じるのか、どんな気持ちで劇場を後にするのか、そのことを考えない時はないという。

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 「あるイタリア料理研究家の方のお料理をいただく機会があったんですが、一緒にテーブルを囲む方たちの心が柔らかくなりますように、幸せを届けられますように、と思いながら作る、とおっしゃるんです。ああ、舞台と同じだなって。何かを共有したいと思いながらつくりあげるものは、オペラでも料理でもみんな一緒なんだって感動しました。」

 クラシックの演奏会に行くとしばしば見かける光景だが、終演後(もしくは休憩時間)に、口角泡を飛ばしながらその演奏の出来不出来について議論する人たちがいる。「あのパッセージが巧かった」とか「あそこのテンポは納得できない」とか、とかくクラシックはそうした「批評」を語る方がよい、とされがちだ。だが幸田さんは、「あそこが良かった、より、大好きな人に大好きって伝えたい、って思えるような演奏をしたい」という。私も、そんな風に思える演奏に出会えた時ほど幸せな気持ちになれる時はないと思う。そして、そういう演奏はいつまでも心に残り続ける。

「オペラ歌手であること」の原点

 愚問だとわかってはいるものの、幸田さんに「なぜオペラ歌手になろうと思ったのか」という質問をぶつけてみた。

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 「二十歳でイタリアに2週間ほど滞在した時、初めてオペラと日常生活がリンクしていることを感じたんです。例えば、駅でカップルがこの世の終わりみたいに熱烈なキスをしながら別れを惜しんでいる。離れ離れになってしまうのかしら、と思って見ていたら次の電車に普通に乗って、ただ家に帰るだけだったのねって。あるいは、教会でマリア様に真剣にお祈りを捧げている人がたくさんいる。そんなふうに、舞台の上にしかないと思っていたものは、すべてイタリアの日常生活の中に溢れていることに気づきました。今、自分がなぜオペラ歌手をやっているのか、と考えると、その時の新鮮な気づきがあったからだと言えます。」

「すべては人の営みの中にある」と気づいた幸田さんは、それから、自分も舞台の上で「生きれば」いいのだ、と悟ったのだという。

 オペラは超現実的な、自分たちの生活とはかけ離れたおとぎ話ではない。確かに、日常生活とオペラでは細かい作法などに違いはあるが、その「根っこ」は結局「人の営み」なのだ。幸田さんの舞台を観ると、いつも「自分にあった役を選んでいるな」と感じるのだが、実はそれは彼女がその役を自然に「生きて」いるからに他ならない。

オペラをもっと愛してもらうために

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 イタリアでローマ歌劇場ベッリーニ大劇場などに出演、その後ウィーン・フォルクスオーパー専属歌手としてウィーンに住んでいた幸田さん。本場ヨーロッパと日本では、オペラを取り巻く環境が違うことを指摘する。

「ウィーンでもローマでも、街を歩けばポスターが貼ってあり、毎日どこかでオペラをやっている。“今日暇だから、じゃあオペラでも観に行こうか”っていえる環境がある。でも日本だと、チケット代も高いですし、上演回数も多くない。まだまだオペラが身近ではないですよね。」
「だからこそ」と幸田さんは続ける。

「最初の入り口として、素直な解釈のトラディショナルなプロダクションをもっと上演する必要があるのではないでしょうか。ウィーンやベルリンなら、ここは伝統的な演目を上演する劇場、ここは前衛的な劇場、と、ある程度住み分けができている。でも日本はそうではありません。まずは、トラディショナルなものがいつでも観られる、という状況を作り、その上で実験的なもの、前衛的なものにという順番であるべきだと思うんです。」

 こうした幸田さんの意見を「保守的」だと考える人もいるかもしれない。しかし、数々の舞台に出演してきたからこそ、誰よりも受け手の反応を肌身に感じている幸田さんのこの言葉には、真摯に耳を傾けたい。何より「お客様が幸せな気持ちになってもらえるように」というのが彼女の原点なのだ。

「“オペラってこんなに素敵だったの”と素直に感動できるような作品ならば、私自身、責任を持って発信できるのです」という一言に、プロの舞台人としての自負と自信を感じた。

音楽の奉仕者 

 実は私自身の幸田さんの第一印象は、「美しい声と美しい容姿の持ち主」。初めてお会いした時には、まるで物語のお姫様がそのまま舞台から降りてきたように思えた。しかし、お仕事をご一緒するうちにわかってきたのは、彼女の中にある、愚直なまでの「音楽への愛」だ。

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 オペラというのは、舞台上にいる歌手と、そして舞台の外側にいる実に多くの人たちの仕事がひとつになって出来上がっている。指揮者、オーケストラは言うに及ばず、装置を作る人、衣裳を作る人、字幕、照明、など、それぞれのジャンルのプロが集まって作り上げる「総合芸術」なのだ。「歌い手は、関わっているすべての人の“思い”を背負って舞台に立つんです」という幸田さん。「怖くないですか」とたずねると、こんな答えが返ってきた。

「それぞれのプロが、舞台のために周到に準備をしているところを目の当たりにすると、やはりみんな心の中に音楽への愛があるんだな、と感じます。その思いを伝えるのが、私の役目なんです。」

 作り手の思いと受け手の思いを繋ぐ人。そして音楽を心から愛し、音楽で人を幸せにしたいと願う人。幸田浩子は、実は誰よりも真摯な「音楽への奉仕者」なのである。

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幸田浩子(こうだひろこ) Hiroko Kouda

幸田浩子|日本コロムビア

幸田浩子さん 出演情報】

東京二期会愛知県芸術劇場東京文化会館iichiko総合文化センター読売日本交響楽団名古屋フィルハーモニー交響楽団 共同制作
グラインドボーン音楽祭との提携公演》

リヒャルト・シュトラウス作曲『ばらの騎士

 

バロック・オペラ
ペルゴレージ作曲 歌劇『オリンピーアデ』(セミ・ステージ形式)